1591年9月
秀吉は朝鮮進出を考えます。
秀次は2年かかって東北平定より京に戻ります。その道中最上家で駒姫に会いいずれ結婚することを約束します。また、下野(栃木)で足利学校を訪れ、重要な書物が沢山あるのを知りこれを京に移すことにします。
戻った秀次は豊臣の姓をうけ、関白として聚楽第も譲られます。秀吉は太閤となりました。