1595年7月15日
7月12日、秀次は争いになることを避けるため、逆らうことなく高野へ向かいます。
そして3日後、秀吉より切腹の命令が出ました。
高野山の金剛峰寺の秀次の切腹した「柳の間の夜横に樹齢600年の年輪が見える杉の大木が立っていました秀次が切腹する前に高野山の杉林のほうを見ながら、「あの杉の樹齢は何年だろう」と今から死に向かう人とは思えない程おだやかな会話をしていたと伝えられています。