1572年 秀次12-14歳 治兵衛じへえ(のちの豊臣秀次)は尾張おわりの国の大高村(名古屋市)の農村に生まれました。秀吉の姉「とも」の子供で、秀吉はおじさんにあたります。 秀吉は子供がいなかったため、宮部継潤に人質として自分の子を養子に出さなくてはならなくなったとき、秀次(治兵衛)を養子に出しました。 四国の三好康長のもとに養子に出され、まもなく秀吉(このとき羽柴秀吉)の跡継ぎあとつぎとして養子になり、羽柴孫七郎秀次に名前を改めました。