1590年7月 「奥羽平定総大将」に任じられ東北へ向かいます。八幡城へは京極高次が入ってきました。 城主は代わりましたが、八幡城下町には町人役を負わせずの掟を残しました。 おじであり、秀次がいろいろなことを学び、もっとも慕っていた秀長が亡くなります。